2002年5月10日作成

米100俵の「俵」とは?


  小泉総理の"米百俵"の教訓話しはすっかり有名になったが、この話しに出てくる"俵"を知っている人は今や少数派になった。昭和30年頃は、農家が玄米を供出する際、この俵が使われていた。俵には玄米4斗、重さにして60kgを入れた。これを一人で担げるようになると、一人前といわれた。中学生だった私は何度か挑戦してみたが、ついぞ担げなかった苦い思い出がある。
 当時、俵づくりは農家の夜なべ仕事で作られていた。私の家にも10畳ばかりの土間があり、おじいさんがそこに暗い裸電球を灯して俵を編んでいたのを良く覚えている。時折手伝いをさせられたので、作り方は記憶に残っている。
 道具は至ってシンプル。呼び名は忘れたが、ハードルを40センチぐらいの高さに下げたものと、細いわら縄を巻く棒状の用具5、6つい。材料は全て稲わらで、締りをよくするため、わら打ちをして使う。ハードル上で交差させた細縄に一掴み(わら5〜6本)を載せては細縄を交差させるという作業の繰り返しで編みこんでいく。目の粗いむしろ状に仕上がったものの両端を結んで筒状にすれば、俵の出来上がりである。
 玄米を詰める際には、これを二重にし、片側にさんだわら(わらを丸い座布団状したもの)を入れて塞ぎ、もう一方から一斗桝で量りながら玄米を注入。さんだわらで蓋をし、荒縄で3〜4箇所を締め上げれば、一般にいわれる"俵"の完成である。共同の供出日には、家々の前に"俵"が積まれ、検査を受けて出荷されていた。いつしか、出荷時の"俵"は麻袋にとって変わられたが、それは同時にわが国が高度経済成長・環境破壊に踏み込んだ時でもあった。
 もう俵を使う時代に戻ることはないだろうが、再生可能な資源を上手に使う先人の知恵は大切にしてほしいもの。地球環境の保存を願うなら、今こそこうした智恵を洗い直してはいかがだろうか。

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