
平和公園から見た原爆ドーム(1997/3/15撮影)
被爆52周年を迎えた広島は、原子爆弾による廃虚から多くの市民の苦闘によってよみがえった。今や人口百十万人を擁する中国ブロックの中枢都市として見事な発展を遂げている。中心街には高層ビルが立ち並び、原爆ドームを除いて被爆当時の惨状をうかがわせるものは、ほとんど見当たらない。商店街を行き交う若者は、流行のファッションに身を装い、ショッピングや食事にと、くったくがない。一見しただけでは、東京や大阪と同様に喧騒にあふれた都会風景が広がっている。だが、市民の心のヒダを覗くと、半世紀を経た今もなお被爆後遺症の不安を抱え、原爆の陰をひきずって苦しむ人が少なくない。被爆者の多くが、あの日のことは思い出したくもないと、語ろうとしないし、せいぜい「原爆があっちゃーいけん」「戦争をしちゃーいけん」という程度。詳細に語るには、被爆体験はあまりにも重く、辛すぎるからだ。 |
何人かの体験を聞く機会があったが、どの人も口を開くには一大決心が必要だったという。そしてまた、「倒れていた人を助けて上げることができなかった」「死んでいく人に、水のいっぱいも飲ませてあげればよかった」と、自身が生き延びるのがやっとの状況下でなお、救助の手を差し伸べられなかったと、悔恨の情を語るのである。
[戦争ほど悲惨なものはない。戦争ほど残酷なものはない」とは、池田大作氏の名著・小説「人間革命」の書き出しだが、50年を経た今もその残酷な傷痕は癒えることはない。慰霊碑に刻まれた「二度と過ちは繰り返しませぬから」との人類共通の誓いを、ひとり一人が我が誓いとし、心に反戦・平和の砦を築くことからスタートしなければなるまい。そして、心を決した人から一人立ち、二人立ち世界の恒久平和をめざして行動したいものである。
その時、忘れてはいけないのは、広島は悲劇の場であると同時に、他国侵略の拠点を努めた加害の地でもあったことである。原爆被害を語るとき、諸外国の住民を苦しめた反省を込め、あくまでも謙虚に、共々に平和な世界をつくるという姿勢が不可欠といえよう。
| データ | 原爆投下日 | 1945年8月6日 |
| 当時の人口 | 推定35万人 | |
| 死亡者(年末まで) | 推定14万人 + -1万人 |
| 関連 | ヒロシマの証言 | |
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