
今の日本はあまりにもひどい。一人ひとりが勇気を持って発言することが、
今ほど必要な時はないとかんがえる。その一助になればと、大胆な主張を試みる
ことにした。毎月,1回は書き替えたいと思っているので、ご愛読を・・・。ここには最新
のページを掲載しました。
“小泉チルドレン”呼ばわりは不快
2006年3月6日
◇…バラエティーニュースを見ていると、“小泉チルドレン”という言葉が、よく使われている。時には20代と思われる女子アナが、得意げな顔つきで「“小泉チルドレン”は、何を考えているのでしょうか」などと発言している。立法府の国会議員をチルドレン呼ばわりするマスメディア人や評論家。そんな光景に首をかしげ、不快に思っているのは私だけだろうか。
◇ …“小泉チルドレン”とは昨年9月の総選挙に小泉純一郎自民党総裁の要請を受けて出馬し、当選した新人議員のことだそうだ。ただの会社員だった方もいるが、多くは元市長や財務官僚、大学教授やエコノミストの経歴を持つ方など、政治を担うに相応しい顔ぶれ。それぞれ国民の声を代弁できる力量を備えた方々と見ている。
◇ …正確ではないが、「国民は民度に見合った政治しか持てない」と言った諺を聞いたことがある。主権在民の民主主義国家では、選挙民である国民の生活や文化の程度、また人としての成長度に応じた政治しか手にする事は出来ないというわけである。
◇ …私たちの国の民度はどの程度まで成長したのか、それとも後退したのか。多くの時間と費用をかけて国会議員を選出。その議員をつかまえて“チルドレン”呼ぶ姿からは、嫉妬心や自らを優位に見せようとする卑しさが透けて見える。議員を選出した有権者も、実は間接的に馬鹿にされているにもかかわらず、“チルドレン”と受け売りしている。政治を良くしようと思えば、物事を冷静に評価する自らの良識を磨くことから始めねばなるまい。
相次ぐ災害に思う
2005年1月12日
◇ …2005年は、素直に喜べない幕開けとなった。新潟の地震災害に続いて、スマトラ島沖地震による津波災害。国連発表で死者15万人超というから、想像を絶する大災害である。昨年を漢字一字で表現するなら「災」とされたが、ピッタリといえよう。
◇ …神戸はこの1月17日、震災から10年を迎える。あの日、ねむけ眼に飛び込んできたテレビニュースの光景は今でもはっきりと覚えている。ヘリからの中継画像だったが、何本も立ち上る火災の黒い煙り。伝える記者もかなりの被害が出てるものと思われると、曖昧な表現だった。それが死者6千人を上回る大災害となったのだった。
◇ …「災害は忘れた頃にやってくる」との諺がある。災害に対する防備を忘れないよう、よく使われてきた警句だが、最近ではこの諺を超える頻度に思えてならない。忘れる間もないほど、地震や台風災害が各地で次から次へと起きている。私たちの青い星は、どうかしてしまったのだろうか? そんな声が聞こえて来そうな気がする。
◇ …転変地異の続発が記録された鎌倉時代、ある哲人はその原因に人心の乱れを挙げた。「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る」と。なかなか手厳しい指摘だが、大いにうなずける節がある。若者が正邪を口にしなくなって久しいし、悪に加担する報道を繰り返している一部週刊誌を放置する風潮もあるからだ。
◇ …正邪、善悪が混乱しているのが、現代社会の特徴のひとつと言えよう。ひとり一人が「善いことは善い、悪いことは悪い」と、勇気を出して発言することが、遠回りかもしれないが「災」から脱する道ではないだろうか。
2002年5月12日
▽ …いま、マスメディアが躍起になってつぶそうとしている法律案がある。個人の情報を法律で保護しようという「個人情報保護法案」がそれ。”メディア規制法案”などと、お得意のレッテル貼りで悪イメージを国民に植え付けようと、キャンペーンを張っている。普段は批判ばかりで自ら行動しない記者連中も、各政党に陳情合戦を展開しているようだ。「表現の自由を守るため」とか、「報道の自由を守るため」といった”大儀”を振りかざして、である。第4の権力といわれるマスメディアの身勝手さを垣間見るように思えてならない。
▽ …情報化の時代を迎えた現在、法律で個人情報の保護を図るのは当然のことである。これを書いている間にも”ワン切り”電話が携帯に入ってきた。ダイヤルQ2にかけたことも無ければ、親しい人以外に携帯電話をかけたことも無い。なのに、連日のように”ワン切り”電話が入る。見知らぬロングメールまで届き、削除作業までやらされる。文字通りの迷惑電話だが、どこから番号やアドレスが漏れたのか、薄気味悪くてしょうがない。何とかしてしてほしいと願っている方が大多数ではないだろうか。
▽ …数年前、宗教法人法が改正され、宗教団体に対して、国家権力が監視のメスを入れやすくする出来事があった。多くの宗教団体は、この法律改正は「信教の自由」を侵すものであり、憲法違反の疑いがあると反発したが、自民党などがごり押しして成立させてしまった。その時、多くのマスコミはどちらかというと、しらんぷり。大した特集も組まず、実質的には成立に手を貸したように見えた。
▽ …「報道の自由」と「信教の自由」。どちらも大切だが、あえて比較すると「信教の自由」が人間にとってより根本的で、重要だと思う。マスメディアの数年前の態度と、今回の姿勢の差があまりにも違いすぎる。言葉は悪いけれど「取材がやりにくくなると飯の食い上げになる」と、問題が自分の身に降りかかりそうだと、大騒ぎをして都合の良い方向に世論を誘導しようとする。そこに商業主義に落ち込んだ現代マスコミ人の実像が透けて見えはしないか。
2001年10月22日
▽ …米英両国によるアフガニスタン・タリバン政権への武力行使が、連日のように行われている。アフガンの一般国民を思うと、心が痛むが、卑劣極まりないテロ撲滅のためにはやむなきことと考える。願わくば、テロを奨励実行するアルカイダおよびそのリーダーと見られるオサマディン・ラディンが、捕らえられ、この武力行使が早く終結してほしい。罪もない国民の犠牲が最小限に済むように…。
▽ …米国での同時テロ勃発(9月11日)以来、その成り行きをかたずを飲んで見守ってきた。武力行使までの全体像を論じるには荷が重過ぎるが、2つのことを考えてきた。1つはいかなる理由が有れ、テロは悪であり、絶対に許してはならないという理念を人類が共有すること。もう一つは、この新しい戦争を安易に「報復戦争」呼ぶマスメディアの島国根性を変えるべきだという点である。
▽ …米国の世界貿易センタービルを破壊して多くの人命を奪った同時多発テロは、これまでの常識を覆すに足りる事件だった。テロリストたちは、目の前にいる無この人たちを道ずれに航空機を爆弾にして、5千人にもおよぶ善良な市民の命を奪った。人間としてまともな心を持っていたなら、到底出来得ない犯罪を組織的に行ったのである。それは、もはや狂気の沙汰であり、悪魔の所業としか言いようがない。これを主義主張のためというなら、その主義主張が狂気であり、人類の生存を脅かすものである。弱者に残された抵抗の手段として、テロリスト同情的な発言をする人もいるが、それは間違いだと思う。今こそ、テロは絶対悪であるという思想を、人類の共通の規範として徹底するべきあろう。
▽ …米英の武力行使を「報復戦争」と呼んで良いのか。今回の武力行使の当事国も、支持している国々も、国連も、「報復」と言う表現は全く使っていない。むしろ、国際社会は「報復」攻撃とならないよう最大の注意をはらい、テロリストおよびテロ支援組織の壊滅に全力を上げているというのが、世界の常識である。ところが、我が国の新聞、テレビの報道は「米国の報復攻撃」「報復戦争」の表現をテロ以来多用してきた。気がひけたのか、武力行使の翌日の朝日、毎日、読売の社説では「報復戦争」の表現を避けていたが、もはや時遅し。国民の大多数が今行われている武力行使は「アメリカの報復攻撃」と認識していると言えよう。またもや、マスメディアによって「日本の常識は、世界の非常識」の事例を作り上げてしまったようだ。そろそろ、イメージ先行のセンセイショナルな報道に血道を上げるのを止め、冷静で的確な報道をしてもらいたい。
2001年5月27日
▽ …国は5月23日、全面敗訴したハンセン病訴訟の熊本地裁判決を受け入れ、控訴しなことを決めたが、この決断を心から喜び、歓迎します。と同時に、筆者自身が救われた気がした。ハンセン病の患者および元患者の皆さんの悲願を知りつつも、その実現に応えることが出来ないもどかしさが、胸のつかえになっていたからだ。いま、国民の一人として「申し訳ありませんでした」そして「本当におめでとうございます」と、言わせていただきます。
▽ …取材を通じて知り合ったハンセン病元患者の友が、岡山県の長島愛生園にいます。20数年来の付き合いになります。早速、お祝いの電話をしたところ「日本に生まれて良かった。初めて実感できました」と、涙声で話してくれました。これまで、何度も話をし、病気の後遺症と認識不足の偏見という二重苦にさいなまれる辛さをうかがってはいますが、真の苦しみは所詮、本人にしか分からないことでしょう。肉親から切り離され、本名を名乗れず、偽名を使う。劇的に効く薬が出来、せっかく完治と診断されても、偏見のために古里を訪れることさえ許されない。世の中にこんな苦しみがあるのだろうか。そうした実情を知り、憤りを覚えたことを今でもよく覚えています。
▽ …以来、身の回りでハンセン病が話題になる度に、元患者の方に接触しても感染することは100%ない、ハンセン病の菌は結核菌より弱く、太陽光線に当たると3秒で死ぬ、不自由に見えるのは全て後遺症の性であり、外見で判断してはいけない、などと聞きかじりの知識ながら、語り続けてきました。しかし、政府がとった‘隔離政策,が生んだ誤解と偏見はあまりにも根強く、なかなか改められることがありませんでした。
▽ …1996年のハンセン病予防法の廃止、そして今回の違憲違法判決の確定で、ようやく国のとってきた‘隔離政策,が誤りであったことが、天下に明白となり、まさに患者および元患者の皆さんの「人間回復」が図られたわけです。その決断をした小泉首相、一貫して控訴断念を口にし続けた坂口厚生労働大臣に拍手をおくりますが、これはあまりにも遅すぎたのは否めず、この国の政治が貧しいことを忘れてはならないと思います。だが、国会議員の中に「あまりも遅すぎた」と、自らの反省もなく指摘する政治屋がいるのは、断じて許せないと思います。特に正義感ぶっている野党の党首がしたり顔でコメントしているのを聞くと、「あなたは何をしていたのか」と憤りを覚えるのは私だけではないでしょう。
▽ …ハンセン病への偏見が、今回の判決確定で終わったわけではない。不治の病、感染するなどと言った積年の偏見と、人権を無視しても自らを省みない我が国の中では元患者の皆さんの闘いはこれからかもしれない。また、差別意識を持ってきた国民一人ひとりにとっても、自らの人権感覚が試されるのは、これからといって良いのではないでしょうか。
2001年3月2日
▽ …「もう、いいかげんにしてほしい」。証人喚問、翌日の逮捕と続いた村上正邦・前参院議員のKSD疑惑事件に対する感想である。憤りは大別して2つ。余りにも低劣な政治家の倫理観とセレモニーに化した「証人喚問劇」である。怒りを通り越して悲しくさえなってくるのは、筆者だけではないと思う。
▽ …まず村上氏。「生長の家」という宗教団体をバック参議院議員に当選。常日ごろは「政治家は私利私欲を持ってはいけない」と人に説き、武士のとしての生き方を信条として、参議院のドンまで上りつめた。ところが、今回の事件で分かってきたのは、中小企業者の血の会費を政治家の地位獲得に利用し、喚問されれば「訴追の恐れがあるので」と証言拒否を連発。武士とは正反対の卑劣な人間であり、私利私欲の人でしかなかったということである。
▽ …同氏はまた、5、6年前に政治と宗教の問題で、ある宗教団体の指導者を「証人喚問せよ」と声高に叫んでいた議員でもあった。それが、喚問される身になったのも何かの因縁か。しかも、法が認めいると拒否を連発して、「理由なく拒否すると罰せられますよ」たしなめられる始末。見苦しく、みっともないったらありゃあしない。こんな人がなんで議員になれたか、首をかしげたくなる。
▽ …証人喚問そのものも、予想通りお粗末で、ひどいものだった。出される尋問は、これまで新聞に報道された内容ばかり。新事実を突きつけての追及は皆無で、準備不足と智恵の無さを露呈していた。特に喚問を急がせ要求した野党の議員に、真相究明の気迫も、資料も無いのにはあきれ返るばかり。これでは、初めから証人喚問とは名ばかりで、選挙目当ての「パフォーマンス」としか見えない。内閣や自民党の支持率の低下を目的にした喚問劇だったと言えよう。建前と本音が全く異なる言論を展開する政治家という側面から見れば、追求する側もされる側も同類に見えてしまうから、救いがない。
▽ …そうは言っても、これは今の国会議員を選んだ国民大多数の心を映し出したものにほかならない。隣りの人が成功すると、面と向かっては賛嘆、賛同し、陰に回ると悪口を振れ回る。或いはボランティアに参加しながらも、実はお金のたかでしか他人の貴賎をはかれない。そんな人がいかに多いことか。マスメディアの受け売りで、村上氏や喚問劇を批判するだけでは、何も変わらない。真に素晴らしい政治家を誕生させるには、私たち国民一人ひとりが反省の心を取り戻し、他人の幸せを心底願える人間に変わることが必要ではないだろうか。(勇)
2000年9月16日